Skip to main content

貞山・北上・東名運河事典

仙台藩主伊達政宗公の時代から約300年間にわたり、開削と維持が続けれてきた貞山運河(木曳堀・御舟入堀・新堀)。 明治期の国際貿易港の整備にあわせ開削された東名・北上運河。 南の阿武隈川と北の北上川とを結ぶこれらの運河の全容を紹介します。 また、『不撓不屈-品井沼干拓300年-元禄潜穴・明治潜穴・わらじ村長 鎌田三之助』も併せ掲載しています。

ホーム
サイト マップ
1 運河の構成
2 運河の延長
3 貞山運河の埋立て
4 水系の位置づけ
5 運河の歴史
6 運河の主要スポット
7 運河の閘門・水門
8 運河の自然
9 運河ゆかりの人たち
10 イベント・祭り
11 運河を楽しむ
12 こぼればなし
13 フォトギャラリー
14 関連リンク集
15 サイト管理人
お問い合わせ
メンバーのログイン

■貞山運河(木曳堀)の開削をめぐる主な諸説とその考察


 貞山運河のうち木曳堀(木引堀)は、貞山公(仙台藩祖 伊達政宗)の命により、川村孫兵衛が開削したとこれまで一般的に言われてきました。とはいえ、これには諸説あります。そこで、長年にわたり調査・蒐集・分析にあたられた 伊達邦宗公の成果も踏まえ説の内容を概観し、整理し、その結果を「四代綱村(肯山公)治世下の寛文年間(1661年~)における開削と解すべきに至った」と先に紹介させていただきました。
 
 しかし、ここには肝心なことの見落としがありました。それは、正保2年(1645年)仙台藩が製作した『奥州仙台領国絵図』に内川の名称で水路が記されていることです。これにより、木曳堀(内川)は当時すでに開削されていたとなります。
 
 そこで今回、仙台藩主や川村孫兵衛の家歴を確認し、先に紹介した内容を改定することにしました。
 
 <改定内容>

Ø  木曳堀は、慶長大津波(1611年)以降~正保2年(1645年)までに、伊達政宗の命を受けた初代川村孫兵衛重吉によって開削

    なお、川村孫兵衛重吉による北上川改修が元和2~寛永3年であることに照らすと、この大工事と同時とは考えにくいことから、木曳堀開削は寛永3年以降とするのが適切と考える。

Ø  その後、堀の改修や周辺の開田事業は、2代藩主忠宗公の治世下でも継続。それは、2代川村孫兵衛(元吉)に引き継がれていったと解される。

 

 これまた浅学の勇み足、一見解とご承知の上、ご覧いただければ幸いです。 

 

  <内容構成>
    貞山運河(木曳堀=木引堀)開削をめぐる主な諸説とその考察 ⇒ こちら(PDF)  
  
(内容は次のようなものです。サイズ:A3版)  ※図をクリックすると開きます。 
 
 
 
   ▲奥州仙台藩領国絵図(1645年仙台藩製作)の一部
 
  <関連資料>     ※それぞれクリックで開きます。いずれもPDF文書です。
   宿送判紙(川村孫兵衛)