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貞山・北上・東名運河事典

仙台藩主伊達政宗公の時代から約300年間にわたり、開削と維持が続けれてきた貞山運河(木曳堀・御舟入堀・新堀)。 明治期の国際貿易港の整備にあわせ開削された東名・北上運河。 南の阿武隈川と北の北上川とを結ぶこれらの運河の全容を紹介します。 また、『不撓不屈-品井沼干拓300年-元禄潜穴・明治潜穴・わらじ村長 鎌田三之助』も併せ掲載しています。

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1 運河の構成
2 運河の延長
3 貞山運河の埋立て
4 水系の位置づけ
5 運河の歴史
6 運河の主要スポット
7 運河の閘門・水門
8 運河の自然
9 運河ゆかりの人たち
10 イベント・祭り
11 運河を楽しむ
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9-(2)-① 早川智寛  はやかわ ともひろ
 
九州小倉藩士早川慶兵衛の長男として生まれた。長崎へ遊学、数学や外国語を学び、1873年(明治6年)に土木寮の官吏となった。
1878年(明治11年)2月、野蒜築港内務省土木局出張所(宮城県牡鹿郡蛇田村高屋敷)工事主任として赴任。
北上運河の開削、石井閘門の建設に携わるが11月には内務省土木局を辞し、三重県属となる。
1880年(明治13年)宮城県属となり土木課長に就任し、1881年(明治14年)頃の運河改修を行った。
早川の講話によれば、舟入堀、新堀、木曳堀が仙台藩祖伊達政宗の構想であることを偲び、各堀を総称して政宗の諡にちなみ「貞山堀」と初めて命名したという。
1886年(明治19年)愛媛県書記官。
1887年(明治20年)官吏の職を離れて、早川組を設立、東北地方や北海道で土木事業を行うなどして財を成した。
1891年(明治24年)仙台商工会議所の初代会頭に就任。在任中には仙台~山形間の鉄道建設を政府に請願するなど地域開発に尽力した。
1898年(明治31年)国立銀行から株式会社に転換した七十七銀行(仙台市)の監査役に就任。このときの同銀行の専務取締役は、後の第4代仙台市長となる和達孚嘉(わだちたかよし)だった。

早川は、1903年(明治36年)4月2日~1907年(明治40年)7月1日まで第3代仙台市長を務めた。
 
顕彰碑と墓所は、サクラで有名な松音寺(しょうおんじ)にある。

 <曹洞宗 松音寺>
北山輪王寺、荒町昌傳庵、南鍛冶町泰心院とともに城下曹洞四大寺の一つとして、領内曹洞宗僧録司を拝命。
山門は、仙台藩主忠宗公から拝領の旧若林城門(切妻造医薬門)
住所:仙台市若林区新寺4-6-28 
 
 
 
                           2017.04.13撮影
                             2017.04.13撮影