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貞山・北上・東名運河事典

仙台藩主伊達政宗公の時代から約300年間にわたり、開削と維持が続けれてきた貞山運河(木曳堀・御舟入堀・新堀)。 明治期の国際貿易港の整備にあわせ開削された東名・北上運河。 南の阿武隈川と北の北上川とを結ぶこれらの運河の全容を紹介します。 また、『不撓不屈-品井沼干拓300年-元禄潜穴・明治潜穴・わらじ村長 鎌田三之助』も併せ掲載しています。

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(8) 赤井江
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6-(8) 赤井江(あかいこう)

 

 

                 

                                             (赤井江と岩沼海浜緑地北ブロック)

 

 

 <成立過程>


・元禄14年の伊達文庫古絵図によると、赤井江は南側から徐々に砂洲が伸張している様子が伺え、外洋に開口していた。

・赤井江地域の明治末期から最近までの地形の変遷は次の図のとおりである。

・明治40年の地形図によると、既に赤井江と海との連結は失われている。しかしながら、潟湖は、現在貞山堀と連結している場所を中心にして

 南側は現在下水処理施設が立地している付近まで、北側は岩沼海浜緑地施設が整備されている付近まで広がっていた。

・昭和37年、赤井江の潟湖のうち15.8haは、干拓され水田となったが、昭和55年阿武隈川下流流域下水道県南浄化センターの建設着手によ

 り、施設の敷地となった。

・昭和43年の地形図では、ほぼ現在の形まで潟湖が縮小している。

 

 

           

                   

                

 

 

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